夜のしじまに。

ひととひと

縛られた関係から解放されて3カ月。私らしく生きてるって胸張って言えます

前記事から約3カ月。ひとつの季節が終わりました。

 

yumika0706.hatenablog.jp

このブログの存在をも忘れていたくらいには忙しく暮らしていますが、読み返してみて大きく変わったなあと思う所は「私が人生の主人公になれている」という実感があるということ。これは本当にとってもすごいこと。

 

尽くすことで認めてもらおうとしていた

読み返してみても、やっぱり健全な関係ではなかったと改めて思う。けれどこれは私だけにある感覚で相手からすれば尽くしてもらってる感などなかっただろう。

所詮私の心の中の問題で、相手にどんなつもりで接していたか、という積み重ねがやっぱり最終的には相手を断ち切りたいと思うほどの「逼迫」を私の心に与えていた。

私に限らず「尽くそう」という姿勢がデフォのひとは、やっぱりどこかで自分の人生の主役を誰かに預けようとしている節があるのかもしれない。これは私が経験したから言えるのだけれど。

「尽くすことの喜び」ともいうけれど、尽くすという行為は無限大無尽蔵にあり限りのないものだから、自分が無理をしていてもわからなくなってくる。ただただ前回よりもっともっと、と相手が喜ぶことを基準に考えて自分が動くものだから、どうしても基準が自分より相手にいってしまう。

そんな日々はとてつもなく忙しい。自分のこと以外で「なんだか忙しいなあ」と感じてくる。けれど蓋をあけてみれば、自分のキャリアに何の関係もないことで忙しかったり、自分の寝食を惜しんでまで相手のことをしていたり、自分は何の変化もないまま時間と労力とお金だけが擦り減っていく。

 

別れてから空いた時間。私が主役だ!って思える

そんなものですり減らしていた時間が丸ごとぽっかり空いた。何もしないのも自分の選択だけれど、人はちょうどうまい具合にまた違う興味に惹かれたりするもので、私はまた新たな趣味や創作活動なんかを見つけて「自分が本当に心から楽しい」と思えるものを今、ただ無心にやっている。

まだ始めたばかりだから仲間もいないしその界隈での友人もいない。ひとりでできることを選んだから仲間を必要としない。本当に好きなことだから自分がいくらお金と労力を使っても後悔しない。直接褒められることも増えた。

「なんだ、自分の人生を生きるってこういうことか」とつくづく思う。
今までの私は彼らが囲いを作ったゲージの中で生きて行こうと必死にもがき、その中で認められたくて愛されたくて、ゲージに自分のサイズを合わせていた。

 

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会社や学校もしかり、仲間同士のコミュニティもそうだけれど、確かに自分が合わせなければいけない場はまだまだ多く存在する。それらを全否定するわけではなくて、私はただ自分の日常は自分の想いと並走していたい。決して言葉で責められ、コントロールされるようなコミュニティの中では生きていたくない。例えどれだけお金を稼げても、地位や名声を手に入れられたとしても、だ。

 

自分の好きなことで褒められることがある。これだけで私が主役だ!って思える。
それは自分の意思で自分が動いていることだから。

 

手放したことの寂しさより、得られた喜びのほうが大きい。
と一連の流れを通じて思えることが「成長」だったように思えるから、やっぱり結果的には彼らには感謝しなければいけない。もう絶対二度と会いたくはないし、好きになることはないのだけれど、自分が成長するきっかけ(苦しみ)をいつもくれていた人達だった。

 

じゃあ本当に(苦しみ)だけだったか?
そう問われると答えるのにはまだまだ時間がかかりそうだけれど。