夜のしじまに。

ひととひと

人の精神的成長を貴ぶと、内側から暖かい光がこぼれる

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私たちには様々な関係性を持った人がいる。
家族、恋人、友人などの近しい間柄から、知人という範囲まで。


こちらから一方的にしか知らないけれど
相手の情報が手に入りよく知っているという場合もある。
応援する芸能人や有名人がそのケースにあたる。

 

芸能人相手に
「自分と関係があるなんておこがましいにもほどがある」
という人もいるかもしれないが私はそうは思わない。

 

相手が一般人でも芸能人でも
「自分」が惹かれるには必ず理由がある。
理由は言葉で説明できる場合もあれば、別にできなくてもいい。

 

相手はこちらを認識していなくても、
こちらへ生きる活力やパワーを貰っている以上、無縁とはいえない。

 

だから私はこういった間柄を無関係とはいいたくない。

 

さて、ここで私の話。
10年前に出会ってから好きになったシンガーソングライターがいる。

 

その人はライブハウスを拠点に、
独特なマイワールドを作っては歌っている。

 

彼はあるときはバンドを組み、あるときは一人で歌い、
あるときはよそのバンドに呼ばれたりして、
とにかく歌うことだけで生きているような人。

 

シンガーソングライターだから
自分で曲を作り歌詞を書く。

 

ダイレクトにその時々の彼自身を表現する。
だから聞いている側は新曲が出れば、
だいたいそのときの彼の精神状態や考えていることが
曲を通して感じ取れたりする。


通常、音楽と人格は切り離されているものと考えるのかもしれない。
エッセンスは残っていても、
その曲まるごと彼を現しているなんて、
なかなかリスナー側からすれば憶測の範囲でしかないかもしれない。

 

けれど私が思う彼の音楽のすごさはそこにあって、
包み隠さない本音を自身の音楽に叩きつけているように感じる。
だいたい「哀」の部分が多い。
だから音楽なのだろうとも思う。

彼はファンになんだか許してもらおうとしているようにも見えて、
私はそんな彼のいじらしい音楽がたぶん好きなのだ。


精神的な幼さ。後悔。それがだいたいのテーマ。
過去の自分を悔やみながらそれだけではいけないと、
反省しながら突然振り切ったような夢みたいなことを言う。


男のくせに全く男らしさはなく、
かといって女々しいわけでもない。
感情を客観的に見るだけの潔さがあって、
そこにファンは彼の憂いを見る。

 

私はその憂いが諦念から来ているのではないか?
とずっと思っていた。

生きることをどこか客観視した距離感のある歌詞。
私はそれを受け側として諦念の波長を
時には同調し時には寂しいと思いつつも10年間聞いてきた。


そんな彼のライブが先日あった。
私も自分の仕事が忙しくなってから、
熱心に彼を追わなくなったので最近の彼の活動をあまりよく知らない。

 

私自身が諦念の波長から卒業してしまったのを自覚していて、
今はファンといえるほど強い気持ちは持っていない。
けれど10年前の私が惹かれたものを今もまだ持っている彼には
やっぱり愛着は感じるし特別な存在ではある。

 

ライブで新曲を歌ってくれた。
心がくすぐったくなるような気泡のようなものが込み上げた。
断片で聞こえる言葉の数々が諦念ではなく達観になっていた。

人生を見る視点が変わっていた。
それによって生きることをどこか諦めていた彼の歌詞が、
生きることを捉えていく歌詞に変化していた。

その瞬間、一気に走馬灯のように彼の成長を音の中で感じとった。
興奮していた。心が芯から湧きあがった。
こんな種類の喜びがあるのかと自分でも不思議になった。

 

自分の成長というのは常々感じやすい場所にある。
けれど人の成長はもっともっと感じやすい。
人の成長を素直に喜べたことがうれしかった。
自分に熱いものが流れているのだと実感できた。