夜のしじまに。

ひととひと

自分の心を守るための別れ

とある人達にほとほと愛想が尽き、縁を切りました。
これに関してもちろん私にも反省すべき点や迷惑をかけた点はたくさんあるけれど、そういうのをひっくるめた上での「決断」にはまったく後悔はしていない。

 

なぜならば私はその決断によって私自身を救ったからだ。彼らに関わることで多少なり感じていた違和感・ストレス・あわよくばと都合よく頼りにされていたところ・私を満たしてくれないものなどを今後一切感じなくていいというところで、私は私の魂を救った。

 

この結論に至り大変参考になった2つのウェブ記事がある。

www.verygood.la

 

カウンセリングサービス■心理学講座「人を操りたい心理〜コントロールの心理学〜」

 

私が彼らに愛想が尽きたのは彼らの言葉の使い方だった。
彼らは言葉を「相手をコントロールするため」に使う人たちだった。

だから時と場合により言葉を使い分ける。けれどこれは人なら大なり小なりあることだけれども、彼らは自分が相手をコントロールしようと必死で相手を配慮したり、相手の心情を想像したりすることが一切なかった。

もちろん「ありがとう」「感謝してる」などは言う。気持ちも純粋な部分があるのも知っているし悪い人ではないのも充分に知っている。けれどもコントロールできないとなると、突然に相手を攻撃しはじめ、とことん突きつめ、責める。

本人たちに責めているつもりはないのかもしれないが、記事にもあるように相手の罪悪感を突いたり正当化を誇示したりして、何が何でも徹底的に話し合おうとする。

 

 

もうそのことに疲れたのだった。

また、正当化や罪悪感を使ったコントロールをしてしまうと、徐々にパートナーとのコミュニケーションがコントロールのみになっていってしまいます。

もちろん、従う相手も“犠牲”や“補償行為”ばかりで苦しくなり、あなたから遠ざかろうとするでしょう。

記事に書いてあったとおり、まさにこのケースの関係から私は脱却したかった。
自分を守るために。

 

ではどうすればよかったか?

この手の関係は元々がこういう関係から始まっている場合が多いので基本的にはエスカレートしていくのみになるのだとは思う。

相手を責めて納得させたいタイプの人は注意がいると思う。きっとかつての私がそうだったのは自覚があって、何が何でも私が正しいのだと相手に知らしめて「わかったよ」と降伏させたい時期は確かにあった。

けれどいつの間にかそういうことはしなくなった。
今回の件に関しても、私は自分のこの決断は正しいとは思っているけれど相手に正しいと知らしめたいわけでもないし、その正しさについて説明するつもりもない。相手には相手の想いや感情・理由や正しさがあるように私にもあってお互い様。それが合わなくなったと考えるのが自然だろう。

この件に関しては譲歩して関係を構築しても、相手は一生同じことを私にするのだろうと思った。それにうんざりしたり耐えられる可能性も低かった。なによりそんなことで自分の心が沈んでいくのがイヤだった。

大切な相手なのに大切だからという理由で自分の心が潰されていくのがとても嫌だっただから縁を切った。

 

私が縁を切ったことで彼らには何か気付きが与えられたらいいなあとは思うけれど、それは余計なお世話でしかないし、それは彼らの問題だ。
けれどこの10年余り彼らの周囲の人間関係を見ていて、人が寄りついて来ては離れていくのを何度も見た。だからこれはきっと彼らにとっての障害なのだろう。乗り越えるべき問題なのだろう。それに問題提起をしたかったという一面もあるし、私は私の心を守りたかったという一面もある。

 

このことからたくさん学んだ。
代償もそれなりに大きかったけれど。
一番大きい学びは「相手を降伏させたいほど責めるような人間にはならないでおこう」ということ。そして責めなきゃ関係を保てない関係は不必要だし、逆もしかり。